祝辞

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鹿児島県知事 塩田 康一 様

昭和38年1月1日に与論町町制を施行され、このたび60周年の節目を迎えられたことを、心からお喜び申し上げます。
また、今年は奄美群島の日本復帰から70周年の年でもあります。
この間、町民一体となって産業の振興や福祉の充実など、町政各般の施策に尽力されてきた、歴代の町長、町議会議員、関係団体並びに町民の皆様に、深く敬意を表します。

与論町は、「東洋の海に浮かび輝く一個の真珠」と謳われ、サンゴ礁のリーフに囲まれたエメラルドグリーンの海や「百合ヶ浜」といった観光資源を有し、温暖な気候を生かした農業が盛んな町となっております。また、「想いどぅ島ぬ力ーあなたの想いが島の力になるー」を基本理念とする第6次与論町総合振興計画に掲げられた各般の施策に積極的に取り組まれています。

今日、地方行政を取り巻く情勢は、少子高齢化及び人口減少の進行、地域間競争の激化等の影響を受け、厳しい状況が続いておりますが、与論町におかれましては、総力を結集され、ますます飛躍されますことを期待いたしております。
県としましては、本県の基幹産業である農林水産業、観光関連産業など鹿児島の「稼ぐ力」の向上、地域や各種産業を支える人材育成、結婚・出産・子育てしやすい環境の整備、高齢者が健やかで生きがいが持てる社会の形成などに積極的に取り組むことにより、「誰もが安心して暮らし、活躍できる鹿児島」を目指してまいりたいと考えております。

鹿児島の宝である奄美群島の更なる発展を図るため、与論町をはじめとする地元市町村の皆様と緊密に連携しながら、全力を挙げて各般の施策に取り組んでまいります。皆様の一層の御理解・御協力を賜りますよう、お願い申し上げます。終わりに、与論町の今後ますますの御発展と、皆様の御健勝・御活躍を心からお祈りいたします。

鹿児島県知事 塩田康一様

奄美群島広域事務組合管理者 安田 壮平 様

与論町町制施行60周年を心よりお慶び申し上げます。

昭和38年の町制施行以来60年の間、日本復帰後の大きな変遷の中で、山町長をはじめ歴代の町長の皆様を先頭に、豊かな自然や島民の暮らしを守り、そして歴史ある伝統文化を継承され、島民一丸となって魅力溢れる地域づくりにご尽力されてこられましたことに対し、衷心より敬意を表します。

さて近年、国際情勢が不安定化する中、奄美群島を取り巻く環境も大きく変化してきており、さらに気候変動問題やデジタル技術の進展など、グローバルな視点で取り組むべき課題も顕在化し、これに伴い地域における課題も複雑・多様化してきております。
そのような中、与論町におかれては「豊かな自然と暮らしを未来へつなぐ島~あなたの想いが島の力になる~」を基本理念に掲げ、世代や立場の違いを超えて互いに手を携え、豊かな自然と暮らしを未来へ繋ぐ島の実現に向けて、島民一丸となって力強くまちづくりへのチャレンジを続けておられますことは、未来に亘り持続可能な地域社会の構築に必要不可欠なことと、同じ地方自治体を預かる者として感銘を受けるところであります。
 
本年は奄美群島日本復帰70周年の大きな節目の年であります。
先人達は戦後の厳しい時代の中、祖国への復帰を強く願い、一致団結して復帰運動を展開され、日本復帰を勝ち取りました。
この偉業を果たす上で先人達が込めた想いや熱意をしっかりと受け継ぎ、奄美群島12市町村がこの激動の時代を生き抜き、更なる振興発展を遂げていくためにも、確実な法延長と内容の拡充に向けて取り組んでまいりたいと存じますので、引き続きお力添えを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

結びに、与論町町制施行60周年を、奄美群島を挙げてお慶び申し上げますとともに、与論町の更なるご発展、町民お一人おひとりの今後益々のご健勝とご多幸を心より祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

大島郡町村会長 高岡 秀規 様

与論町町町制施行60周年、誠におめでとうございます。
与論町が昭和38年に町制を施行されてから今日までの60年間は社会経済各般にわたって変動の連続であり、激動の年月でありました。この間、町勢が発展の一途をたどり、ここに記念すべき60周年を迎えますことは、歴代町長を中心とする町当局、議会並びに町民の皆様のたゆまないご努力のたまものであり、心から敬意を表します。

ご承知のとおり、今年は奄美群島日本復帰70周年を迎えます。与論町は、昭和28年に復帰後も米軍統治下におかれた沖縄の祖国復帰へ向け実施したかがり火大会や海上デモなどの歴史的背景を大切にされ、沖縄との交流を継続されておられます。
また、与論町では「与論十五夜踊り」、「与論島の芭蕉布製造技術」が国指定の重要無形民族文化財に指定されており、日常生活の中で生み出された行事や技術を継承されてきた先人たちに改めて敬意を表するとともに、今後も引き続き保存・継承されることを願います。
平成4年に第1回大会を開催したヨロンマラソンは、今年11月に30回の節目の大会を迎える予定と聞いております。毎回全国から1000人前後の参加があり、奄美群島の関係人口の創出・拡大に貢献されておりますことに感謝申し上げます。

結びに、町民の皆様、町当局、議会が協力し、新たな決意のもと、「共に創ろう未来への架け橋〜元気・チャレンジ・感動〜」のスローガンの下、与論町のますますの御発展と町民の皆様の御健勝、御多幸を心から祈念いたしまして、お祝いの言葉といたします。

沖縄県国頭村長 知花 靖 様

これまで、沖縄県の祖国復帰30周年、40周年の節目の年に両町村の共同で記念事業を開催してまいりました。昨年は祖国復帰50周年を迎える年に、1952年4月28日に講和条約発効後、海上27度線上で本土と分断され「屈辱の日」とされる日に海上集会、平和行進、記念式典、かがり火、児童交流になどを開催し、歴史を後世に伝え、恒久平和の実現と心の絆を継承し交流を深める友好平和宣言を発信しました。

また、復帰50周年の大きな節目を機に与論町と国頭村は、令和4年10月14日に、両町村のさらなる繁栄と発展に資するため、姉妹都市盟約を締結し、今後さらなる相互融和と親善の礎とすることを誓い合ったところでございます。

町制施行60周年を機に、更なる与論町との交流を深め、両町村の発展に努めていきたいと考えております。

結びに、テーマであります「想いどぅ島の力」の実現を目指し、与論町のますますのご発展と、本日ご臨席の皆様方のご健勝とご多幸を祈念申し上げお祝いのあいさつとさせて頂きます。

沖縄県国頭村長 知花靖様

錦江町長 新田 敏郎 様

与論町町制施行六十周年記念式典が盛大に挙行されるに当たり、一言お祝いを申し述べさせていただきます。
昭和三十八年一月一日に町制を施行され、豊かな自然と歴史を基盤としたまちづくりに邁進し、順調に町勢の発展をみながら本日ここに町制六十周年を迎えられましたことは誠にご同慶に堪えないところであります。

与論町と錦江町は昭和四十四年に旧田代町と姉妹町となり、平成十七年の市町村合併により新たに誕生した錦江町と改めて協定を交わしたのが平成十八年であります。
これまで産業、文化、教育、職員相互派遣など様々な交流を行ってきました。これからもなお一層友好を深めながら、両町の絆をこれまで以上に強くし、共に発展させていきたいと考えます。

さて、今、地方が抱える社会課題の中で、少子高齢化、担い手不足、環境問題などが喫緊の対策を迫られておりますが、与論町は昨年4月に農林水産業、商工業等の担い手を確保しながらマルチワークという新たな視点から人材を求めて「ヨロンまちづくり協同組合」を鹿児島県内でもいち早く発足させておられます。
地方回帰の流れをしっかりとつかむ先取の取組に共感し、わが錦江町も本年6月の組合設立に向け準備を進めているところでございます。

また、世界的な燃料、肥料、食料等の価格高騰の中、今、国が強力に推し進める食料安全保障の強化に向けた構造転換対策にも着手されており、和牛日本一の鹿児島県を下支えする島育ちの母牛を循環型農業として再肥育し販売することで、持続可能な観光地の食の魅力を全国に発信されており、農業生産額の7割を畜産等が占める錦江町としても非常に参考とさせていただき感謝しております。

一方、今年は奄美群島復帰七十周年の節目の年でもございます。戦後八年間の米軍統治下から日本復帰に至るまで先人の苦難の歴史や行動力に敬意を表すると同時に、錦江町盤山地区の入植者の方々と共に復帰七十周年を祝い、そして戦後史の重要な出来事を風化させることなくこれからの奄美、そしてここ与論町が安寧の時を刻まれることを心から願っております。

結びになりますが、本日ご列席の皆様方の益々のご健勝と与論町の今後限りないご発展と次世代にも両町の友好関係を引き継いでいくことを固くお誓い申しあげ、私のお祝いのことばといたします。

鹿児島県錦江町長 新田敏郎様

長崎県南島原市長 松本 政博 様

本日ここに、「与論町町制施行60周年記念式典」が挙行されるにあたり、お祝いの言葉を申し上げます。
はじめに、本日の記念式典のご盛会を心よりお慶び申し上げます。また、与論町の誕生から今日まで、町の発展にご尽力されました関係者の皆様に心から敬意を表します。
本年は町制を施行されて60周年、またパナウル王国建国40周年、町体協設立60周年、奄美群島日本復帰70周年という大変意義深い節目の年であります。

さて、与論町と本市のつながりは、明治32年に口之津町の(みなみ)彦七郎(ひこしちろう)氏が与論町に港湾荷役の働き手を求人していることを受け、当時の与論戸長上野(うえの)應介(おうすけ)氏が娘婿を団長とし、与論島の方々240名を口之津へ送り出したところから始まり、以後数度にわたる移住により生まれた絆は、現在までも受け継がれております。これまで、中学生修学旅行団の相互交流や、ヨロンマラソンやサッカー、バレーボールなどスポーツを通した交流を行うなど、現在まで様々な交流を継続させていただいております。

平成25年度の与論町町制施行50周年の節目には与論町で開催されました記念式典の際に、あらためて与論町と南島原市の姉妹市町協定書に調印させていただきました。
このように、今日まで培われた友好交流をより一層深めるとともに、本日の記念式典を契機として、与論町のさらなる発展のため、(やま)町長のもと、町民の皆様が一致協力され、深い郷土愛をもって力強く前進していかれることを心から期待してやみません。

結びに、与論町の限りない前途を心から祝福いたしますとともに、町民の皆様と本日ご列席の皆様の、ご健勝、ご多幸をお祈り申し上げまして、お祝いの言葉といたします。

長崎県南島原市長 松本政博様

中部与論会長 坂本 勝利 様

わが故郷与論町が本年町制施行60周年を迎えられました。2017年には当時の天皇皇后両陛下がご来島され、19年には町役場新庁舎が完成するなど、明るい話題が多い与論島です。さらに今年2月から約1カ月に渡って行われた京急電鉄での「走れ!ヨロン号」は、東京や横浜に限らず、中部地区在住の与論島出身者にも驚愕でした。
関東地区の皆様には、与論観光の大きなPRになったことだと思います。
これも、ひとえに町民の皆様方の並々ならぬ御尽力のおかげとお慶び申し上げます。

さて、中部与論会は「日本の真ん中」を自称する岐阜県や日本の自動車産業を支える企業が存在する愛知県、神社の総本山「伊勢神宮」を有する三重県等におられる与論出身者を中心に、与論ファンのタビンチュを取り込みながら活動しております。
その一つとして、名瀬出身の中島豊定玲(玉世)さんが会主を務める日本民踊会の皆様による与論公演が実現しました。その中で披露された与論の踊りは、日本民踊会のイベントの度に踊り継がれています。ここ2〜3年は新型コロナウイルス感染症のまん延により、活動の中心である「中部地区奄美会」を含め、すべてのイベントが中止に追い込まれました。今年になって、ようやく11月での開催を企画しているところです。

中部与論会は、大阪と東京間を「通過するだけの都市」からの脱却および「日本の真ん中」を自称すべく、単独でのイベント開催に向けて活動していく所存ですので、ご指導ご鞭撻をお願いいたします。
結びに、わが故郷与論町及び町民の皆様のご健勝及びご多幸を祈念申し上げます。

鹿児島与論会長 高橋 肇 様

与論町制60周年・復帰70周年・パナウル王国制定40周年の節目に当たり、鹿児島与論会を代表し、衷心よりお喜び申し上げます。
与論町は昭和38年1月1日に町制を施行され、以来60年、歴代の町長をはじめ、町民の皆様の努力によって発展してまいりました。ご尽力いただいた皆様方に深甚より厚く敬意を評します。

さて、島外より郷里与論町を見て思うことは、一つ目に少子高齢化が挙げれます。高校を卒業するとほとんどの生徒が内地の大学や専門学校へと島を離れて行きます。卒業後も帰島する子供はごく一部で島内に受け入れる事業所等がなく、結局都会へ就職してしまうのが現況であると思われます。
少子化の影響で与論高校の存続も危ぶまれているようです。高齢化と人口減少が進む中、対策が急務であると考えます。

もう一点は、船舶の抜港問題です。特に夏場の観光シーズンに多く、観光客はもちろんのこと、生鮮食料品等の不足で島民にとっても死活問題であり、港の整備が急務です。
今の現実を直視、分析して将来を考える堅実さを忘れてはならないと思います。

最後になりますが、「誠の島」故郷与論町の限りない発展を心からお祈り申し上げます。

沖縄与論会長 山本 和儀 様

奄美群島祖国復帰70周年のめでたい本年、与論町が町政施行60周年を迎え、町体育協会設立60周年、パナウル王国建国40周年の節目を祝うこと、心よりお喜び申し上げます。
町政移管を成し遂げられた久留富盛村長、町政施行後初の町長となられた龍野通雄町長を始め、歴代の町長、町議会議員、農業・漁業・観光業・運輸・経済・教育・医療の発展にご尽力された多くの町民の皆さまに感謝申し上げます。

第二次世界大戦後、奄美群島民は米国の施政権下に置かれ、日本本土との往来を禁じられて多くの困難を極めましたが、幸い復帰運動を成功させ1953年12月25日に日本に復帰することができ、喜びに沸きました。そして、診療所や発電所の設置、バス・タクシーの運行、プロパンガスの普及など生活が便利になり、町政施行後は大型製糖工場の稼働、簡易水道の普及、道路の舗装化、県立与論高校の独立、与論空港の開港とさらなる発展・近代化を成し遂げ、1972年5月15日に沖縄県が復帰するまでは、日本最南端の島として、都会の多くの若者を惹きつけ、観光ブームで賑わい、一躍全国区の島となりました。

しかし、沖縄の奄美群島出身者は奄美群島の祖国復帰を機に、「非琉球人」扱いとなり、多くの権利を奪われ公職から追放される等の憂き目にあいながらも、1953年12月に在沖奄美連合会、1968年10月には沖縄与論会を発足させ、沖縄在住の与論島出身者が情報交換や親睦、相互支援、米軍ヘリで搬送されてくる与論町民の支援に当たり、沖縄の発展にも寄与してきました。

昨年は与論町と国頭村共催による沖縄の祖国復帰50周年記念事業、海上集会やかがり火大会等に参加して与論町と国頭村の交流がさらに発展することを願いました。これからも平和が続き、与論島と辺戸岬の間にある北緯27度線が再び国境とならずに、東アジアのハブとして発展を続けている沖縄との交流を通して、与論町がさらに発展することを祈念して、お祝いの言葉とします。

名瀬与論会長 川畑 文敏 様

与論町制施行60周年、名瀬与論会員の皆様と共に心からお喜び申し上げます。

沖縄が復帰するまで故郷・与論島は観光の島として一大ブームを築いた歴史があります。日本の最南端の位置にあり、サンゴ礁に囲まれた美しく珍しい地形と大潮時に見られる百合ケ浜、素朴な人柄などで人気を集めました。島全体が活気にあふれていたのを誇らしく思ったことを記憶しています。
昭和47年、沖縄が本土復帰してからは観光と並行して畜産を主体とした農業やソデイカ漁など水産業にもにも力を入れ、奄美群島の中でも独自性のある島として確かな地位を築いています。中でも与論マラソンは、全国から参加者が絶えず、与論の代名詞になっていると思います。

50周年の節目の年から続けて襲来した台風で、未曾有の被害を受けましたが、行政や島内外の支援で乗り越えてきました。その時期、私は浅学菲才を顧みず全国与論会の会長を拝命し、与論島民の皆様や全国各地の与論会の皆様と交流を深める機会を頂きました。

その後、与論町教育委員会から「与論町制施行五十周年記念誌ユンヌの歩み」を頂きました。拝読し、与論の文化・歴史の背景や島外に移住された先人の方々の軌跡をを改めて知り、感銘を受けました。その中で心打たれた3点について述べてみたいと思います。
一つ目は「針ヤ飲マラジ」(針は小さいけど飲み込めないぞ)。与論のことわざですが、私は「不条理なことは受け入れないぞ」と心に留めました。二つ目は「思イドゥ運命」(自分の役割を自覚して、悔いのない人生を築き、故郷与論の限りない発展に尽くす)。三つ目は「島是」としての「尊々我無」(トゥトゥガナシ)を核として「誠の心・島」を守り、「御先祖・親」(ウヤイヤフジ・ウヤヤ)を大切に慕う心の伝承。

琉球支配、薩摩支配、占領軍統治の歴史を経て現在に至りますが、常に逆境を克服して来られた先人の教えとこれら3点を会員の皆様 と共に次世代に継承して、与論の発展に繋げればと思います。

最後になりますが、与論町制の益々の発展と、島民皆様のご健勝ご多幸を心より祈念申し上げます。

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